桑田佳祐がどんな曲を作ろうとサザンオールスターズの曲になるように、
長渕剛がどんな曲を歌おうと長渕剛の曲になるように、その人がどんなことをしてもその人そのものが出ることの方が多いと思う。
でもそれはファンにとってはそうであってほしいことでもある。桑田佳祐が作った曲なのに長渕剛っぽくなるのは安定感がないっていうかそういう感じを好きになったんじゃないって思うからだ。
やっぱり桑田佳祐が作る曲は桑田佳祐っぽく、長渕剛が作った曲は長渕剛っぽくあってほしいもの。
そういうのってとても大事だと思う。
歌だけじゃなく料理の世界やさまざまな職人の世界もそうだと思う。
何をやっても毎回違ってて誰がやったのかわからないんなら誰でもいいってことになる。
やはりその人が携わったことはその人が出ることの方が価値があると思う。
小学生の頃から高校卒業する頃までずっと通ってた床屋さんがある。
おばさん1人で経営してていつもニコニコな笑顔で私を迎えてくれた。
子供の頃から私の髪の毛を切ってくれてたから何も言わなくても適当にカットしてくれる。
思春期を迎え高校生ともなると芸能人や俳優さんの髪型に憧れて『タレントの誰々さんみたいに』とか『歌手の誰々さん風に』とか注文をつけるようになった。
でもいつどんな注文しても仕上がりが必ず細川たかしっぽくされてた
思えば小学生の頃からそうだった。小学生なのに私の髪型はいつも細川たかしだった
どうして言ってもいない剃り込みされてオデコの範囲を広げられるのか
そしてあの細川たかしそのものみたいなあの髪型。
最後に『こんな感じだよ』って鏡を見せられる時に鏡の中の自分を見るのが嫌だった。私の苦笑いを察してくれと。
なんでこうもカチカチにセットしちゃうのかねぇって思いながら家帰って速攻で頭洗ってた。
自転車で行ける範囲では近くにその床屋さんしか無かったから他の選択肢は無かった。
今はその床屋は店を閉めてやってないけど、長州力そっくりなあの床屋のおばさん元気にしてるかな。
何をやっても自分が出るのはいいことだけど時と場合に寄っては悪いことでもあるよねってハナシでした。
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